以前のHPで、2004年2月~2006年10月まで綴った三人の日記です。
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★3月6日(日) 牛歩的舞踊家和嘉子 HIOKING
朝、巣鴨へお参りに行きました。
奮発しました。
で、大急ぎで立川へ。
今月末にアミュー立川の小ホールでダンスの発表会なんです。
今日は、まあ、予行演習みたいな感じ。
ダンス。
養成所にいた頃から、お世話になっていますが、まあ、私なりに成長したと思います。
まさか、この私がダンスに通うようになるなんてね。
昔の自分を思うと信じられない。
小学校の頃に、通知表の体育の欄に2がついたことがあるくらいのどんくささですから。
縄跳びをやらせれば、二十跳び出来ずに居残り練習。
プールが始まれば,25メートル泳げずに居残り練習。
鉄棒やらせれば、逆上がり出来ずに居残り練習。
鉄棒は思い出深い。
最後まで出来ない子チームに残り、鉄棒授業最後の日に三回もチャンスがあったのにできず、授業が終わり、教室に帰る寸前に一回やったらまぐれで出来て、感激した先生に抱きしめられた・・・小一の頃。
服部礼子先生・・・親以外の大人に抱きしめられたの初めてだったっすよ。
泣いたの覚えとる。
普通、あんまりないよね。
ラピュタのラストシーンのドーラとシータみたいに息が出来ないくらいぎゅ-っと。
先生はそんなおばあちゃんじゃなかったけど。
ドラマ並みの盛り上がり。
よっぽど私がドンくさかったのだろう。
だからダンスだなんて。
あれこれ習い事させてくれた母も、習わせようなんて微塵も思ったことはなかろう。
さぞや、先生も手を焼いておいででしょうね。
昨日のレッスンでは、バーレッスンで、
『わか、ここの回るリズムを、タタンッよ。』
「・・・こ、こうですか?」
『そうそう!わかー、リズムのダメ出しが出せるようになったじゃない。』
・・・ほめられた?
そう、今までは皆と同じ動きをやるまでにも至らず、細かいリズムのお話なぞ聞いても出来んのだ。
あと、足首から先には神経が通っているのか未だ不明。
牛歩。
まさに牛歩。
こんな私に付き合ってくれる先生はなかなかいないだろう。
先生におんなじこと何十回言わせたことか。
でも、ちょっとずつでも、自分で手ごたえを感じているよ。
服部礼子先生、お元気ですか。
和嘉子は日々、牛歩で三歩進んで二歩下がっています。
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