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以前のHPで、2004年2月~2006年10月まで綴った三人の日記です。
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☆5月22日(土) 気絶。 わたなべ。

今、所沢です。あまりの寒さに、倒れそうよ。絶対倒れないけど。

わたくしはよく「気絶しそう」だの「倒れそう」だの乙女用語辞典に載ってそうな言葉を口にするが、実際倒れたのは1度きりだ。  

意識は宇宙に飛んで行ってしまっても体は普通に立っているという変態体質が、自慢でもあり、悲しかった

わたくしが、乙女☆気絶デビューを飾ったのは18歳の時。

場所はチューインガムの工場だ。

当時わたくしは、工場のラインに入り、機械で一日中ガムの包装をしていた。

ある日、社員さんが動かしている機械の見習いに入ることになった。

わたくしが担当している包装(かなりアクティブなのだ)とは違い、おとなしい感じの業務で内心嬉しかった。

まず、機械の前に立つ。次に、受け皿に入った10粒のガムが流れて来たら、一つずつ銀紙に包まれているかどうかチェックする。

おわり。

あとは機械が蓋をして流してくれる。

それをわたくしが包装し、さらには3個パック詰め女の前を通過し、その先に待ち構える箱詰めババアの手に掛かり、晴れて全国で販売される。

この部所に入った時、女とババアに泣かされたんだ、俺。

初☆見習いの日、社員さんと二人でガムを見つめること1時間。

たまに機械に噛まれたやつとか粒が多いやつがあるだけで、ひたすら見つめることさらに1時間

少し気分が悪くなり、わたくしの意識は次第に遠退いてゆく。

だが、持ち前の変態体質で気絶するには及ばない。

ところが、その数分後に事件は起こった。

までに類を見ないほどの貧血に襲われたのである。

乙女☆気絶の日は奇しくも女の子の日と重なっており、さらにはエンドレスで流れてくるガム達を見つめていたせいで目を回し、わたくしはとうとうブッ倒れてしまった。

倒れる直前、わたくしは心の中で叫んだ。

「もう、どうなってもいいわ。早く楽になりたい」と。

我ながら名台詞だ。

隣にいた社員さんは、自分の視界からわたくしが消えたので、えっ!?と思ったら床にひっくり返っていたのでびびったよと言っておられました。

暫く気付かなかったと言うことは、わたくしは世にも華麗な気絶さばきで映画のヒロインよろしく、はらりと倒れたと見たわ。

倒れた本人なので、見られなかったのが残念だわ!

と言うのは冗談で、倒れた場所に何もなかったからよかったものの、あと少し後ろだったらメンテ用具がいっぱい入った箱に頭をぶつけて、乙女☆流血気絶になるところだったのだ・・。

翌日から、わたくしはいつもの部所に戻された。

時々、すっぱいシリーズ(3個のうち1個だけすっぱいガム)やチューイングキャンデーをったけど、すっぱいのを入れ忘れたり、箱詰めにする際に必要以上に挙動不振になって仕事にならないので、やはりいつもの部所に送還。

やっぱりあたくしはアクティブワークが似合ってるのね!と思うことにして、退職するまで頑張ったわ!!

あの日以来、わたくしは気絶していない。

さらに変態体質に免疫が出来たようで、どんなに気持ち悪くても倒れられない。

見習いをクビにされたのが、痛かったのかしら・・。

 

☆5月22日(土) マン・ツー・マン HIOKING

「あーりーがとうございました!」

今日はダンスの日。

小学生クラスのレッスンが終わって見回すと・・・・!・・・誰も居ない!

大人クラスの受講者が誰も居ない!

ヒョエー!

遂に恐れていた事態に。

約2時間のレッスンがすべて私のもの。

須郷さん(先生)独り占め。

そりゃ、ありがたいですよ。

でも、でも・・・。

というわけで、みっちりマン・ツー・マンレッスンでございました。

レッスン時間の約8割がバーレッスン。

つまり、基礎からってワケです。

蝶のように舞いたい。

いい刺激になりました。

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